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超感覚的!体内ドラマ [第9回]  E気持ち。

超感覚的!体内ドラマ[第9回]E気持ち。

胃がキューと締め付けられるような恋の話を書くから読んで欲しい。
1980年代の前半、京都で大学生活を送っていた頃のことだ。

中学2年生の娘は、何度教えても、小数を分数に出来なかった。円周率なんて理解はゼロ。嵐電の行き帰りに、何度も「ホントにバカだよな!?」と呟いた。帷子ノ辻で乗り換えて、車折神社まで。週3日、出口のない家庭教師のバイトを続けていた。

教えるだけ無駄な勉強などそこそこに、半分以上は、他愛もない世間話に付き合った。夜の9時をまわると家庭教師の時間は、終了。出来の悪い娘さんのお母さんが、いつもお茶を入れてくれた。だらしなさが下腹の出っ張りでわかってしまう。何処にでも売っているような湯呑みに、アルミのベコベコになったヤカンから直接、お茶が注ぎ込まれた。胃がもたれるような記憶だ。

大学を卒業してから10年ほど経ったころ、そのヤカンのお母さんが自死を選んだという噂を風の便りで知った。別に驚きはなかった。それよりもあの嵐電の女性は、どうしているのだろう!?

「お仕事の帰りですか!?」
そのひと言をかけるのに、実は、半年以上がかかった。相手は、嵐電の北野白梅町の駅から、いつも同じ時間に乗る人妻だ。ほぼいつも会うので、いつしか会釈ぐらいはするようになっていた。しかし、その声を聞いたことはなかった。いつも日傘を持っていた。年の頃は、30前後。色白で華奢なカラダには、ワンピースが似合っていた。嵐電の人妻に会いたい一心で、ヤカンの奥様のお茶も飲み込んでいた。

「はい」
夕刻の北野白梅町の駅には、その人妻と私しかいなかった。日傘を見つめながらの返事は、ちっさな電車がゴトゴトと入ってくる音にかき消された。行く先は、いつもの「帷子ノ辻」。

平安時代の初め。嵯峨天皇の皇后である檀林皇后は、それはそれは美しい女性だったという。彼女が亡くなった時に棺にかけられていたのが、絹や麻糸で織った着物(帷子)。葬儀の際に、三条通と交わる辻で、この帷子が風に舞ってはらりと落ちた場所が「帷子ノ辻」。美しいものには、いつも死が含まれている。

「ぼくは、車折まで家庭教師のバイトなんですよ・・・」
話を始める前に、ドアが開いた。始発駅なので、誰も乗ってこない。いつものように、いつもの席に座った。それから話すことはなかった。会釈をするだけの日々に戻った。

なんとなく好きで、その時は、好きだとも言わなかった人の方が、いつまでも懐かしい。あの頃は、好きな人に、好きと言えなかった。ましてや、なんとなく好きな人に、好きと言ってはじまる恋があることも知らなかった。こうしてワタシは、アルミのヤカンを見るたびに胃がキューと締め付けられるようになった、あの京都の夜を思い出す。

自律神経は、胃や十二指腸の働きをコントロールする役割を持つため、自律神経が乱れることで胃酸が過剰分泌されてしまう。その結果、胃酸が粘膜を傷つけ、痛みを引き起こす。

あのヤカンのお茶を飲むのが嫌だったからか!?
あの人妻との淡い間合いに心が乱れていたからか!?
その胃痛の原因が「お仕事の帰りですか!?」と声をかけて終わった、あの夜から、35年ほどの月日が過ぎてわかった。

ワタシは、ストレスで胃痛を起こすほど繊細ではない。結局、無神経さが注ぎ込まれたヤカンのお茶など、どうでもよかった。あの嵐電の人妻に、何も言えなかった自分のふがいなさに自律神経を狂わせていただけだったのだ。その証拠に、還暦の年頃になるまで、仕事のストレスで胃痛など起こしたことがない。胃の不具合といえば、サシの多く入った肉を喰らった時に、少々もたれるくらいのものだ。

あぁ、胃酸がいっぱい出るくらいの恋をしてみたい。
自律神経が乱れるくらいの出会いが欲しい。

しかし、あの嵐電の人妻に教えてもらった。シロクロ決着をつけたら、それは、どんな淡い思い出も、消したい記憶になってしまうことを・・・。ただ臆病であることを、鈍感だと信じて生きた方が、男は、シアワセなのだと。
割り切れなさを割り切れないまま放置できてこその老後である。キスまで行ったとか!?どんな関係まで行ったとか!?Aとか、Bとか、Cとか、関係ない。もう自律神経なんか乱さないぞ。

円周率は「3」ではない。いくらバカでも、いくら年を老いても、そんな簡単に割り切ってはいけない。円周率は、3.14159265359・・・。割り切れなさをいっぱい抱えて、ワタシのおなかは、まぁーるくなっている。おかげでとても「E気持ち」。

(おわり)